ロールアウトINDEXに戻る>ヤルヤル体験記>’2000知床夏物語
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ウトロに車を置いて いよいよここから |
最高のキャンプ日より 岩尾別にて |
焚き火と文化鍋 ご飯がウマイ! |
カムイワッカの滝 |
文吉湾の 番屋で |
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番屋でお世話に なった漁師さんと |
キンキ(地元ではメンメという) をご馳走になる |
知床岬に上陸して ラウス側の海上をチェック |
波風雨のため タコ岩で足止めを食う |
岩尾別になんとか 上陸 |
知床物語’2000(7/17〜) 3年ぶりの北海道 「知床はいいで〜」 ふと、なにげなく口から出た辻中の言葉に私の心はすぐ反応し た。 7月になったばかりの暑い日のことだった カヌーでは川を始め海も結構数をこなしてる辻中は2年前に友達と2人で行った知床 半島を思い出し、そして叉もう一度カヤックで知床に行ってみたいという想いから私に話 しかけたようだった。 しかし、そんな辻中に比べ 正直なところ私は旅する上では知床でなくてもそしてカヤック でなくてもそう大きな問題ではなかった。 ただ「独りで」がこだわりだった 今のこの暑い時期に快適にそしてそれなりに充実感を味わえる旅はこれしかないか・・・ 「条件タイミングが合えばいつでも出かける」そういう気構えだけは日頃から持って いるため辻中の言葉を聞くや否や「知床に行こう」と即準備にとりかかったのであった。 7月11日(月)〜12日(火) 3年程カヤックにも乗ってないのとカヤックの経験も瀬戸内海数回、日本海2回程と初心者でもありとりあえず準備とシュミュレーションも兼ねて日本海(兵庫県)での一泊 のツーリングを行うことにする。 当日は天気も良く夕陽を背に焚き火をして久しぶりのテント(最近はキャンプに行って もテント設営が面倒で車内又はテント無しで直接寝袋だけで寝てしまうことがほとんど) で朝を迎えた。 シュミレーションとはいえとてものんびりした時間を過ごすことができ て正直なところ「もう知床の旅はどうでもいいかな」と思うほどの満足した2日間でも あった。 本番の「知床半島一周」の準備はというとこれといって特別なモノはないのだが、単独での行動なので問題なのは沈(転覆すること)についてだけだった。 知床半島は岬付近の波風、そしてルシャ、岩尾別などからの下ろし風などは荒れると 小さな漁船までもその進行を妨げてしまうこともあるほどの特別な海域らしい。 増して夏とはいえオホーツク海、万が一沈した場合長時間も水の中にいることは不可能 だろう。 そういうことも踏まえ今回は「何がなんでも知床半島をカヤックで」ではなく、とり あえず知床に行って海の状況を見てからカヤックに乗るかどうするか考えよう・・・ そう自分に言い聞かせて旅の準備を進めていった。 7月17日(月) いつものことながら思い立ったら待てない性格のためか「知床に行こう」と思い立ってから2週間足らずで出発の日を迎 える ロールアウトの閉店時間を早目に切り上げ午後6時にロールアウト(明石)を出発する 中国道吉川インターから舞鶴道を経て2時間程でフェリー乗り場の舞鶴港に着く。 こんな大きなフェリーに乗るのは初めてなので少し楽しみだ 新日本海フェリーは午後11時舞鶴港を出発、翌々朝4時に小樽に着くため無駄なく事が運ぶ効率のいい時間設定である。 7月19日(水) 3時起床 フェリー船内アナウンスで朝3時に起こされる。 3等部屋であった私の部屋にはそうたくさん人はおらずくゆっくり寝ることができた 定刻通り午前4時に小樽港に着く。 さすが北海道は湿気がなく気持ちが良いと言っても午前4時過ぎであれば明石でも同じ 事か 小樽から高速道路の終点旭川までそして北見、美幌峠を経て斜里に。 この辺りは97年冬にマウンテンバイクツーリングで来た事(北海道冬物語 '97参照)が あるので懐かしい気がする。 まさかこんな形(知床半島をカヤック)で再度来るとはその時には思いもしなかったのであるが。 北海道は交通の流れも良く午後11時過ぎにはウトロに着いてしまう 天気はすこぶる良く、又海の状態も良いので明日からだった予定を1日早めて今日これ から出発することにする。 知床半島計画は3泊4日(予備日1日)の次の通りである。 「ウトロ出港(車はウトロに置く)→知床岬→ラウス上陸(カヤック保留)→徒歩、バス等で ウトロに車を取りに戻る→車でラウスにカヤックを取りに行く」 午後1時20分、いよいよウトロの港を出発、波はおだやかで風も無風に近く海も空も青く澄んで更に遠くに見える木々も青々と輝いている なんとカモメまでが近く に寄って来て私を歓迎してるかのようだ 2時40分無事岩尾別に着く、波風の状態も良かったためう少し距離を伸ばしたかったがこの先のキャンプ地はカムイワッカを過ぎないとないようなため(それだと時間がかかる)今日はここにテントを張ることにする。 7月20日(木) 午前5時40分起床 山登りではないが早目早目の行動ということで7時10分には出発する 8時30分にはカムイワッカの滝、10時10分には問題のルシャまで来ていた 幸いルシャの下ろし風は弱くそれ程流されずに無事通過する。 ウンメーン岩を少し過ぎた海岸に上陸、あまりの暑さにビールを飲み昼寝をしてしまう というのも朝から5時間余りほとんど休憩なしのパドリングに少し疲れを感じてしまったようだ 1時間程休憩した後更に距離を伸ばし文吉湾に午後4時前上陸する。 今日は岩尾別から文吉湾まで約32kmのパドリング、こんなに漕いだのは初めてでもあり少し横になる。 ウトウトしているとここに来る途中に出会った漁師さんが「番屋においで」とのこと 疲れてるせいもありそのお言葉に甘えて番屋におじゃまする。 番屋といっても2階建てで何十人も宿泊可能な大広間そして台所、もちろんお風呂まで完備といった民宿の様な立派なものである。 部屋にはテレビはもちろん電話(衛生電話)までありそれらは番屋横にある大型発電機の世 話になっている。 ここに来ている漁師さん達は6人1組でウトロから1週間ここに寝泊りしながら漁をするという その間の食事洗濯なども日常のこととなるようだ。 私は彼らの手慣れた手捌きによって料理された正に獲れ立ての海の幸を遠慮なくごちそう になる。 さぞかし漁師さんは遅くまで飲むのだろうと思っていたが午後10時になるとパッと切り 上げてしまった。 それもそのはず体力勝負の漁の仕事、そして明朝5時出発とのことなので深酒は厳禁なのだ。 知床岬 7月21日(金) 午前4時30分起床 漁師さん達は4時から朝飯の支度に取りかかってたようだ。 海老入りの味噌汁など豪華な朝食をいただき一晩たっぷりとお世話になった番屋漁師さんともお別れする。 文吉湾午前6時出発、運良く今日も風も少なく波もおだやかそうだ 「よーし、きょうもがんばろう!」・・・ 文吉湾から2km程で岬だ 「あれが岬の灯台か・・・」とパドリングしているとみるみるうちに波風がひどくなっ てきた。 そして目に入る岬の向こうの光景は今まで漕いできた波のそれとは大違いで荒れ狂ってい るといってもいいほどの波風だ。 これが知床岬の荒れる海か・・・ 明石を出発する時から頭にあった「明石市から来た無謀カヤッカー・・・」という仮想 新聞記事が頭を過ぎる。 初心者そして単独そしてこの海・・・正に今の私にピッタリの言葉である。 私は考える間もなく入り江に入り風の吹き止むのを待つ、カヤックに乗ったまま入江 の岸壁につかまりじっと時が過ぎるのを待つ。 そして風の状態を見計らってパドリングするも少し沖の方へ行こうとすると強風で押し 戻されそうになる。 仕方なく岬の向こう側(ラウス側)の状態を見るべく上陸することにする 草が覆い茂っている中、鹿の通り道らしきとことろをパドリングシューズのまま歩いて見通しの良い丘の上に立つ 案の定ラウス側の海面は波で白くなっていた。 そしてきのう漁師さんが私に教えてくれた太い黒い線が水平線の向こうにくっきりと見 えていた。 (遠く水平線に見える黒い線は高波、つまり沖は荒れているとのことらしい) カヤックをつないでいる場所に戻り、ラジオの天気予報を聞くと「午後からは更に天気が崩れる」との情報 「これ以上待ってられない、行こう!・・・」意を決して出発することにする。 しかし待機場所から沖の方に数十メートル行くだけで風が行く手を拒む 「行こう」・・・「ダメだ」・・・ 幾度となくそんな繰り返しをしているとどうするこ ともできない自分になぜか腹が立ってきた。 でも戻る(岬を回らず出発地点のウトロ側に向かう)決心をして何分かパドリングを続 けていると少し気持ちも落ち着いてきた。 「そうだ今回は絶対無理はしない」と決めていたではないか! 今朝出発してからもう2時間以上過ぎていた 先程からの小雨は天気予報のそれを後押しする様に大粒の雨へと変わってきた。 11時10分過ぎ、先程から目に入っていた5人組カヤッカーに追いつく 彼らは昨日ラウス側から来たと言う。波風の状態、天気図を見てこの度は私とは逆コース(ラウス→岬→ウトロと)をたどっ てる。 この知床半島を十分に把握している地元カヤッカーのようだ。 昨日は相泊を出発、強い追い風で岬までそしてそこでキャンプしていたとのこと 彼らに私の状況を話しすると 「この状態でラウス側に行くのは無理だったでしょう、増してひとりでは・・・」 そうこうしていると更に雨風が強まってきた。「やっぱり岬を回らなくて良かった!」 そして彼らは今日はこの先の蛸(タコ)岩というところで1泊するという でも私は時間もまだ昼前ということもあり、もう少し距離を稼ぐべく彼らと別れ先を急 ぐ。 11時50分、蛸岩を横目にパドリングしていると雨音をかき消すように背後から声 がした。 「止めた方がいいのではないでしょうか」5人組のひとり藤田さんだった 彼は今の雨風の状況、少し疲れた私のそして不慣れなパドリングの後ろ姿に不安を感じ、 わざわざ追いかけて来て声をかけてくれたのだった。 私は考える間もなくその言葉に反応そして彼らと同じ、蛸岩に上陸して様子を見るこ とにする。 なぜなら今の私にその言葉を拒否する理由はどこにもなかったからだ いや私には神の御告げのようにも感じ取れた言葉でもあった。 藤田さん曰く「あのまま行ってたらルシャの下ろし風でどうなっていたかわからない と思って」心配で思わず声をかけてしまったとのこと。 ある意味では初対面の私に意見 をすることに抵抗もあったろうがそれ以上に私の後ろ姿が不安げに見えたのだろう。 今思っても本当に「命拾いした」とつくづく感じてしまう場面である。 16時40分、ずーっとラジオを聞いているのだが時折流れる天気予報とは全く異なり テントの外の大雨は少しも劣ることなく降り続いている それどころかテントをゆらすほどの風まで吹いてるほどだ 更に明日は今日同様に雨風があり、海上の高波はひどくなるとのラジオからのアナウ ンス、まあ日程的にはまだ余裕があるのだが昼間からテントの中で待機というのは私で なくとも心が沈むのも仕方ないことだろう。 9月22日(土) 4時起床 昨日の雨もなんとか止み5時50分、蛸岩を出発。 波風の状態はあまり良くない 今日は昨日声をかけて下さった藤田さんのグループ(リーダーは福岡さん)5人組みと同行させてもらうことにする。 なぜなら昨日から天候の状態が悪く私ひとりでの行動にはかなり危険が伴うのではと思 い、その旨を彼らに伝えると快く了解してくれた。 ルシャの下ろし風 午前7時20分、問題のルシャを通る 来る時(ウトロ→岬)はめずらしく吹き降ろす風は少なかったためそれ程問題なく通れたのだが今日は南風 も強く、噂通りの「ルシャの下ろし風」が容赦なく吹いている 噂では最悪の状態だと小さな漁船でも運行を妨げてしまうというものだ もっともカヤックは漁船と違って座礁などというトラブルはないため岸辺近くを通るこ とができる、岸辺近くの方が風の影響を最小限にどどめられるらしい。 その通り、風はそれほどではないのだが幅にして3〜4m程、波が立ちはだかりその 荒波は岸辺から沖に向かって一直線に伸びている。 それは穏やかな海面を龍が沖に向かって泳いでいるそんな光景にも似ている つまりその龍の背ビレが荒波のそれである 私は意を決し龍に向かった そしてあるだけの力を振り絞り夢中でパドリングする 背ビレに乗り上げ一瞬止まりかけたがなんとか乗り切った 「やった〜!」思わず大声で叫ぶ。 午前8時15分、小石の多い浜(ルシャとカムイワッカの滝の中間くらいの所)に上陸 休憩する。 波風も強くそして潮の流れも逆ということもあってか私は疲れてしまい横になる それに比べ他の5人はそれ程ではなく腰を下ろして補給食を口にする程度だ あとで気がついたのだが私は沈に備えて上半身のみドライスーツを着ていたのだがどうやらそれが体温を上げてしまい体力消耗につながっていたようだ。 この頃から更に波風がひどくなって来る、その反面太陽は激しく照りつける カムイワッカの滝を過ぎると更に横波がひどくなって来た。 私としてはこんな波は初めてである。 他の連中が当たり前?のようにパドリングしているのでこんなものかと私もパドリングするが、正直なところ私ひとりだったらこんな波 の中カヤックには乗っていないだろう。 このころから私は5人組みに遅れ出しそして水をガブ飲みする事が多くなった 要所要所で私を待っていてくれるものの私が追いつくとすぐ出発するので私は疲れる一 方である。 しかしこれくらいのことで泣き言などを言ってはいられない。 なぜなら私はこの5人組にお願いして一緒に行動させてもらってるのだから 「疲れたからもっと休憩させてくれ!」など言えるはずがない 増して単独でこの知床半島に来たのだから、そんな弱音は誰ひとりにだって言える訳が ない。 「弱音を吐くくらいなら、最初からこんな場所にひとりで来るな!」・・・ もうひとりの私が当たり前のように言っていた。 そして彼らだってこの波風の強い中、昨日遭ったばかりの初心者カヤッカーの足でまと いはゴメンのはずである。 五湖の断崖手前のイタシュベツ川?の岸に上陸、海はもう荒れ果てていて海岸に打ち寄せる波が大きく、先に上陸していた渡辺さんにカ ヤックを引き上げてもらう。 疲れも手伝ってかもう自分独りでは簡単には上陸できない程の波になっていた。 ここでは20分程休憩しただろうか、その間じっと様子を見ていたリーダーの福岡さ んがつぶやく 「これ(波風)はカヤック禁止の海上だな」・・・ そして話しは続く「ここから岩尾別まで約5Kmの間、断崖絶壁が続くのでその間非難 回避可能なところは3ケ所しかありません。こんな状態なので3ケ所全て使います加藤さんは岩尾別で上陸して下さい、ウトロまで行くのは無理でしょう。 そして我々についてはウトロまで行くかどうかは岩尾別まで行ってから判断しましょう」 真剣に耳を傾ける我々のそれは少しオーバーな表現かもしれないが今からベースキャ ンプを出て未登峰の山頂へ向かうアタック隊員のようなそんな空気に包まれていた。 上陸の時同様、渡辺さんにカヤックを押してもらい海へ出る。リーダー福岡さんを先頭に菊池さん藤田さんそして私と平行して伊藤さんそして最後尾 には渡辺さんが私を見守りながら列を成す。 そして「加藤さんのペースで漕いで下さい」と渡辺さん。 どうやら体力スキルに優れている渡辺さんを最後尾にするというのは福岡さんの指示の様だ。 今まで皆に遅れながら必死でパドリングしていたのとは違って自分のペースでそして後 から見守ってもらってると思うと気分的にとても楽であった。 とは言え波風共に激しく私は沈するのを覚悟での必死のパドリングであった 15分程で1ケ所目の休憩できる入り江にたどり着く 入り江に入ると別世界に来た様に波風から開放される。 それでもパドリングなしでは同じ場所にはいられない、流されてしまう そうしてる間にも福岡さんはひとり入り江を出て波風の状態をチェック、戻るや否やこ こで上陸して様子をみるとのこと やはり外海の荒れはひどい様だ。 上陸後、お昼も近い事もあり皆ラーメンなどで昼飯をとる この場所は幸いにも川が流れ出ており私は飲み水が残り少なくなっていたのでコンロで 沸騰させ飲み水を作る というのもガンガン照り付ける太陽とドライスーツ着用のためか私は朝からかなりの水 を飲んでいた。 お昼を過ぎた頃一向に収まらない風のためか「3時(午後)まで様子をみて回復しなければ今日はここに泊まる」と福岡さん その後も双眼鏡片手に海上を見つめていた。 午後2時過ぎ、少し風が収まった?のか「急ですが10分後に出発します」との声に皆気合が入る ここで足止めを食らい明日まで待つのは誰だって嫌だろう。 出発できるという喜びが皆 から伺える。 危機一髪、ファイト一発 波風は相変わらず激しく、出発して間もなく大波を越えるべくカヤックのスピードが落ちると同時にちょうど養殖網の丸い浮きに接触、カヤックがそのまま止まってしまっ た。 カヤックの左ボディーには丸い浮きがそして右からの強い風、私はもちろんのこと私を見守ってくれていた渡辺さんも思わず息を呑んだ「あっ、沈する!」 大きく左に傾いた私を載せたカヤックは勘一発元に戻り、この知床で一番恐れていた 「沈」を回避することができた。私は過去にリバーツーリングなどで何度も沈の経験をしているのだがあの様な傾き状態で沈しなかったことは今だに信じがたい程の出来事だった。 2ケ所目の回避場所には約40分で到着、ここは完全に外海から遮断された入り江で ある。 しかしこの間のパドリングにより私は疲れ果ててしまった それに比べ皆はそれ程疲れた様子はない。確かに私は皆よりはるかにパドリング等の技術は劣っている、その分余計な力、体力も いるだろうが、何と言っても私の自慢は体力である。 なのになぜ? 上陸してすぐ水を飲み横になる それでも体の火照りは止まらず沈の時、体温低下防止のためにと朝から来ていたドライ スーツを脱いでみる、するとどうだろう、さわやかな風が身を包み今までの疲れはどこかへと 消えてしまったのだ 「体力消耗はこのせいか!」・・・ 出発を前に福岡さんの説明 「こから岩尾別まで30分くらいですが残り10分が岩尾別の下ろし風で一番の難所です。 この状態では岩尾別の風の状態はかなり悪いでしょう、がんばって下さい!」 私は思案した。沈の時を考えてドライスーツを着てるべきか又は体力パワーを優先してドラ イスーツを脱ぐか ・・ 「パワーがあれば沈を回避できるパドリングも可能だろう、そしてネガティィブに沈のことばかり考えるのも良くない」 そう決めると私は迷うことなくドライスーツをハッチ(カヤックの荷室)に入れた 「よーしこれで、力いっぱいパドリングできるぞ!」 そう思うとなぜか気合が入って きた。 入り江を出ると波風は更に強さを増していた 今までのどれより荒れている。 しかし、ドライスーツを脱いでるせいだろうか喉の渇き、疲れは全く感じない 20分ほど行った所に3ツ目と言われるの非難場所があった そこはちょっとした洞窟になっていて強風から守ってくれるのだが残念ながら上陸できる浜などはない。 そして問題はここから岩尾別までの下ろし風である ここ洞窟でカヤックに載ったまま5分程休憩した後最後の海に出た。 どうやら低気圧も手伝って風も強くなってるようだ。 岩尾別までまだ1Kmはあろうというのにその出し風の影響が断崖の地形によってか 突風の如く我々を襲う。 海水は吹き上げられしぶきとなって全身を濡らし、目もまともに開けてられないほど だ。 前を行く仲間も時折見失う程の大波うねりの中全員ひたすら岩尾別を目指す。 それはまるで戦場で銃を抱え匍匐(ほふく)前進して行く兵士のようでもあった 何処に地雷があるかわからないそしていつ空から攻撃されるか検討もつかない そんな中を我々はだだ黙々と匍匐前進していた。 私はこの悪条件の中、渡辺さんに教えてもらったパドリングテクニックそしてドラ イスーツを脱いだこと(着ていると暑くて体力の消耗が著しい)でか今までで最高のパ ドリングができた。 沈する事の心配より目の前の荒波を乗り切ることに集中できたのである 昨日までの私だったら当然の如く「明石市から来た無謀カヤッカー・・・」の新聞 記事が本物になっていたであろう。 私を含め6人共無事岩尾別の砂浜に上陸、午後3時50分を少し過ぎていた。 渡辺さん以外はもうこれ以上パドリングしようとする様子は見られなかった しかし私も含め皆、車をウトロに置いてるためできればそこまで行きたかったはずだがこの荒れた海に叉出る気力はなくなっていた。 午後4時過ぎ、着替えをすませぎウトロに車を取りに行く ここからウトロまでは海上なら5Km程だが陸地だと峠があるので10km程の距離 になる。 バスの運行はすでに終わっているので悲しいかな徒歩でウトロを目指す 照り返しがきついウトロまでの道は知床の夏とは思えぬほど暑く小走りする足も重た かった。 1時間少しでウトロの漁港近くの車にたどり着く 思わずコンビニに入りビールを飲み干す「うまい!」 ここに来る間途中幾度となくヒッチハイクを試みたが誰一人と車を止めてくれなかっ た。 でもその原因が今わかった。 真っ赤に日焼けした顔にぶしょうヒゲ、後頭部まで覆っている帽子はあご紐で強く結 んでいる。 その格好は正に戦場から抜け出してきた兵士の様だった。 コンビニのガラス越しに見たそんな自分にハッと驚いてしまったほどだ 私だってこんな男がヒッチハイクしていたら気味が悪くて知らんふりするだろう。 岩尾別に戻りカヤックの片付けをするともう午後7時を過ぎていた 夕陽が沈んだオホーツクの海は闇が急速に支配し、いつもの静けさの避暑地に姿に変 えていた。 それはついさっきまでオホーツクの荒波で苦戦していたことが遠い夏の日の出来事のようにさえ感じさせるものであった。 私の熱い知床の夏は無事幕を閉じた。 最後にこの場をお借りして見ず知らずの初心者カヤッカーの私をあのような状況の中で快く向かえ入れてくれ そして最後まで面倒を見て下った福岡さん達にお礼を申し上げます 「本当にありがとうございました」 |